[米を炊く 006]のろさんの話

暮らしの中で淡々と繰り返している
「米を炊く」ということ。


私にとっては、当たり前のように
そこにある行為だけれど、
みんな、どんな風に、どんな時に、
米を炊いているのだろう。
そして、その周りにはどんな日々が
続いているのだろう。


身近な人たちに、
それぞれの「米を炊く」と、
その周りにある日々のことを聞きました。


今日は、のろさんから聞いたお話です。

のろさん

新潟市出身、在住。食堂の店主。店内には、セレクトしたCDや本なども並んでいる。分解して小さなパーツを整理していくように、どんなものが入っているか、どんなスパイスや調味料をつかっているかを考えながら料理を食べるのが癖らしいです。


のろさんの米の炊き方
1. 米を研ぐ
2. 少なめの水を入れて、炊飯器で炊く。

お米を炊く前に、浸水はしないなあ。もともと粘りの強いお米が喉を通らないタイプで、硬めが好きなんだよね。お店で出しているお米も、自分の好みに合わせて炊いてるから、お米の調子を見て、少しパサついてきたなと感じるときは、たまに10-15分くらい浸水するけど、基本的にはしない。あと、硬めに炊くと修正も効くんだよね。もし硬すぎたらちょっと水を足してもう1度炊飯したら美味しく炊き上がるから、もしものときにお客さんをお待たせしなくてもいいし。


お米を炊くことで、何かが切り替わる気がする

仕事柄、お米は炊き続けてますよ。営業日は最低6合炊いています。お米を炊くことは、お店とは切り離せないし、自分自身とも切り離せないかな。自分の好きなことを仕事にしているとはいえ、「今日もお店だなぁ…」と思って、朝ちょっと家でグダグダしちゃうこともあるんだよね。でも、お店に着いてお米を研いで炊飯器のスイッチを押すと、何かが切り替わる気がする。仕事モードになるというか。人によってモードを切り替える方法は様々で、お店の掃除をすることやお茶を飲むことで切り替わる人もいるかもしれないけど、自分の場合は、お米を炊くことなんだよね。業務の一つではあるし、効率的な動きでもあるんだけど、それ以上の意味がある気がしてる。


ちょうどいい作業、ちょうどいい時間

家では、ある程度時間があって元気を出したい時にお米を炊きます。他に手っ取り早く食べられるものはあるけど「やっぱりお米だよね」ってなるなあ。なんでだろう。お米を食べた方が回復するような気がするんだよな。時間があるって事は外食に行くこともできるんだけど、家で炊いたお米を食べる方が元気が出る気がする 。お米の炊き上がりを待っている間に、何かおかずを作る時間もいいのかもしれない。家の料理は速さを求められないし、量も作んなくてもいいし、たぶんちょうどいい作業なんだよな。お米が炊けるまでの30分くらいが、長すぎず、短すぎず、ちょうどいい時間なのかも。

行き先が一つ増えた

今まで、音楽を聴きにライブに行くっていうのが大切な息抜きだったんだけど、今年はこの状況だからライブ自体がなくて、代わりにCDをたくさん買ってた。CD とレコードがセットになっている作品を買ったとき、せっかくだしレコードも聴きたいなと思って、レコードプレーヤーを買ったんだよね。それ以来、レコード屋さんを探してよく行くようになったことが最近の大きな変化かな。行動パターンの中に行き先が一つ増えた感じで、出会う人も変わりそうだし、なんかすごい変化かもしれないなあと思ってる。個人でやっている中古のレコード屋さんはムラがあるところがいい。店主の趣味によって値段が結構違って、好きなジャンルは高めで、興味がないジャンルはレアな物でも安いとか(笑)そういうムラって面白いよなーと思って見てる。


わざわざ聴く、音楽

レコードに惹かれた理由は上手く言えないけど、音楽との向き合い方に興味があるのかも。音楽のネット配信も多くなってきて、わざわざCDを買って、プレーヤーに入れて歌詞カードを読みながら聴くっていう、音楽との向き合い方は少なくなってきてるなーと思っている。でも、そんな時代に、あえてCDを買って聴くってどういうことなんだろうという疑問や興味があって、うちのお店ではCDも取り扱っているんだよね。レコードは音質を楽しむことも魅力だけど、レコードで聴くっていう体験自体やその姿勢に惹かれているような気がする。よりじっくりと音楽と向き合えるというか。

つながる米屋コメタク

「私たちの豊かさとは何か」という問いに対して、 「米を炊くこと」という仮説を立てて、 米を炊いています。 暮らしの中に「好き」と「隙」を増やしていきたいです。

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